プラタナスの碑

 天満小学校には,平和と愛(友情)のシンボル「プラタナス」があります。
このプラタナスは,校庭に植えられて80年になります。1945年8月6日,爆心地から西北西1.2km離れた天満小学校の校庭で被爆し,大きなうろができていますが,戦前・戦後を生き続け,天満小学校の子どもたちや地域の人々に多くのことを語り続けてきました。
 しかし,今,木が老いてきています。その上,害虫によって太い幹が食い荒らされて弱ってきています。

 そこで,保護者・地域の方々をはじめ,多くの方々にご協力いただき,「プラタナスの碑」と「戦前・戦中・戦後の証言集」を作りました。
 
 天満小学校では,子どもたちに「地域学習」「平和学習」として活用しています。

「平和と友情」のシンボル 「プラタナスの碑」完成を祝って

今,語ってほしい
プラタナスの木が見続けた
80年間のことを
わたしたちに
「あの日」のことを
「あの頃」のことを
天満小学校の歴史を
地域の歴史を
人間が生きてきたつながりを
                          

プラタナスの木のところで
おにいさんがカミキリムシをつかまえていたよ
ぼくも わたしも
プラタナスの木のところへいってみよう
カミキリムシはどこにいるのかなあ
あれ,こんなところに大きなあながあいているよ
あの木はきのこがいっぱい生えているよ
おかしいなぁ
こっちの木にもあながあるよ
どうしてこんなにあながあいているのかなぁ
だいじょうぶかなぁ


1945年8月6日
ぬけるような青い空
朝,8時15分
「ピカッ!」という「あつい光」せん光
「ドーン」という「強い風」爆風
だれもが想像しえなかった原子爆弾が
ヒロシマの町に落とされた
天満小学校は爆心地からわずか1.2キロのところ
校舎はあっという間にくずれ
しばらくすると,火がもえうつり
完全に焼けてしまった
先生13人 児童280人の
尊い命がうばわれてしまった
そして,多くの人がケガや病気で苦しんだ

人間や建物だけではない
地上にあるすべてのものが
校庭のプラタナスの木も
あのせん光と爆風で あなができた
それはプラタナスが植えられて14年目のことだった


1931年に植えられたプラタナスは
ほそくて子どもくらいのせの高さの木だった
その木が80年たった今
大きく生長している
春にはめぶき,
わたしたちにあたたかいプラタナスの風を送ってくれる夏には 葉をしげらせ
私たちにすずしいこかげをつくってやすらぎをくれる
秋には 葉をおとし
冬には 寒さにたえてすごす
そしてまた ぼくたちに春をつげてくれる
移りゆく季節を伝え
成長する私たちの心と体を見守り続ける

                        
私たちの「平和と友情」のシンボル
プラタナス
いつまでも
いつまでも
しっかり生き続け
私たちのつくる歴史をつたえてほしい
仲間とのつながりを深め
友情を育む ぼくたちのことを
かけがえのない命を大切にし
平和を愛する 私たちのことを
私たちのつくる歴史のことを語り伝えてほしい